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第6戦目 プロレス 新生UWF 1990.12.1 長野松本運動公園総合体育館 VS垣原賢人

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第6戦目 プロレス 新生UWF 1990.12.1 長野松本運動公園総合体育館 VS垣原賢人

大会名

U.W.F. ENERGY

日時

1990.12.1

当時の年齢

20歳

対戦相手

垣原賢人

会場

長野松本運動公園総合体育館

試合時間

14分58秒 TKO

勝敗

○初勝利

田村コメント

第5戦目前田日明戦にて

眼窩底骨折
長期離脱を余儀なくされたわけですが

眼窩底骨折も完治し
いよいよ
1年1ヶ月(401日ぶり)の復帰戦(6戦目)になります。

後に、この大会が、

復帰戦でもあり

新生UWF最後の大会になり、

一つの時代が終わった貴重な大会でした。

 

 

僕が1年1ヶ月長期離脱をしている間に

二人の後輩が(冨宅祐介・垣原賢人)がデビューをしました。

 

長期離脱の僕は、右眼窩底にワイヤーで固定されて試合に出場を許された訳ではなかったので、

 

彼らの試合を指を加えて見る事しか出来なかった。

彼らがリングに昇る為の階段の出し入れを行わないといけなかった。

嫉妬と言うか、悔しさと言うか、抜かれてしまう危機感

苦楽を共にした仲間ですが

選手としては複雑な心境でした。

 

彼らのデビューはリング下でしっかり目に焼き付けてました。

 

話は遡りますが、冨宅垣原のデビュー戦はいい試合でした。

冨宅垣原は同期入門で、厳しい練習を乗り越え、互いに切磋琢磨し

お互い遠慮無く、しのぎを削った本当に良い試合でした。

冨宅垣原は僕の一年後輩ですが

一年長期離脱をしていた僕としましては

実質的には、キャリアは、ほぼ同じ

 

田村vs垣原との試合に戻りますが

試合時間は15分一本勝負

5分経過

10分経過

一進一退の攻防が続き

10分過ぎ
僕も垣原もスタミナが切れてしまい

ペースダウン

 

当時のルール
ダウン&ロープエスケープは5回まで許されてました。

(5回のダウンとロープエスケープで負ける)

 

残り一分を切った時

ロストポイントは?

田村4

垣原4

一つの
ダウンもエスケープも許されない状態

 

残り時間10秒

最後の力を振り絞り
でアキレス腱固めを垣原に決めた。

垣原は残り10秒我慢すれば引き分け

 

残りも迫り

 

引き分け〜か

と思った瞬間

垣原が

我慢出来ずに・・・・
いや

反射的に?
ロープエスケープ

 

15分勝負で

14分58秒の出来事でした

試合時間残り2秒

でエスケープ

それがこの画像

↓↓↓
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14分58秒
僕のTKO勝ち

棚ぼた初勝利!

 

田村「う〜んそれだったら、いっその事ギブアップしてくれ」
と思いましたが

 

垣原は垣原で
反射的にエスケープ・・・

 

残り2秒我慢すれば、引き分け

「やっちゃった感」

なんとも言えない表情が印象的でした。

何はともあれ
14分58秒TKO勝ち

1990年12月1日
念願の初勝利でした。

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