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2019年2月「北沢幹之さん」「保永昇男さん」【大阪】④
北沢幹之さん
北沢 幹之(きたざわ もとゆき、男性、1942年2月15日 -)は、日本の元プロレスラー、レフェリー。大分県東国東郡安岐町出身。
1961年10月に日本プロレスに入門。1962年1月21日、台東区体育館にて、林幸一を対戦相手としてデビュー戦を行う
北沢が大分県出身であったため、豊登から「高崎山猿吉」というリングネームをつけられたこともある。1966年にその豊登とアントニオ猪木が旗揚げした東京プロレスに参加、後に猪木と共に日本プロレスに復帰。
1972年に猪木が新日本プロレスを旗揚げした際も設立当初から参加した。1976年のカール・ゴッチ杯で木村聖裔を破って優勝した。
ラッシャー木村、山本小鉄、藤波辰巳、百田光雄、ヒロ斎藤、佐山聡と、数多くの選手のデビュー戦の相手を務めたことでも知られた。同郷(大分県出身)の後輩でもあった藤波が日本プロレスに入門した際に、当時の日本プロレス幹部に入門許可を得る橋渡しをしたのも北沢である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B2%A2%E5%B9%B9%E4%B9%8B
保永 昇男さん
保永 昇男(ほなが のりお、1955年8月11日 – )は、日本の元プロレスラー、男性レフェリー。東京都足立区出身。拓殖大学北海道短期大学卒業。リキプロ所属。えり足を伸ばし、刈り込みの入った金髪のパンチパーマがトレードマーク。現役時代は終始スポットライトの当たる選手では無かったが、独自のプロレス感と対戦相手を引き立てる技術で試合を作り上げる職人レスラーであった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E6%B0%B8%E6%98%87%E7%94%B7
入門
北沢さん⇒1961年10月「日本プロレス」
保永さん⇒1979年4月「新日本プロレス」
田村 ⇒1988年7月7日「新生UWF」
デビュー
北沢さん⇒1962年1月21日「デビュー」
保永さん⇒1980年4月25日
田村 ⇒1989年5月21日
北沢さん&保永さん
大、大、大先輩です。。
北沢さんとは「リングス在籍時」少々の接点あり
・北沢さんは「レフリー」
・私は「選手」
保永さんは、「初めまして」
今回大阪でお仕事
北沢さん&保永さん
控え室が同じでご一緒させて頂き
色々とお話させて頂いた。
北沢さんは
・日本プロレスに在籍し、力道山さんを語れる
数少ないお方です。
通常?(私が新弟子の頃は)
控室に先輩がいると
気を使い 席を外したりするのですが
※本音(色々と用事を頼まれるので・・席を外した・・時もある。)
私自身
・「日本プロレス」時代の話
・「力道山さん」
のお話を伺いたく
控室に居座り
色々とお話を聞かせ頂きました。
時間にして「20分」
「貴重なお話」&「お時間」
有難うございました。m(__)m
そして北沢さん
私の息子(長男に)
「お小遣い」まで頂き
大変恐縮です。。
有難うございます。m(__)m
以上まとまりなく終わります
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