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1995年12月9日K−1プロディーサー石井館長からオファーが・・・
1995年8月18日NKホール
ゲーリー・オブライト戦をメインを任された試合を最後に
1995年10月9日
新日本プロレス VS UWFインターナショナル
全面対抗戦
の流れが出来
それを拒否をした「僕」
メインエベンター
から一転
試合にも干される!
一寸先はパプニング!(アントニオ猪木)
「株価」で言うと
大暴落→上場廃止
状態
1995年10月9日
新日本プロレス VS UWFインターナショナル
「伝説の興行」とも言われる程のメガヒット
後輩、仲間や、同士は
「伝説の興行」後
・マスコミ
・報道
・TV放送
時の人に、なっていくのです。
道場で、みんなと練習していても
なんとなく温度差、違和感を感じて
1人対抗戦を拒否した僕が、道場にいてはいけない立場のように感じて
四面楚歌&被害妄想で
道場に行かなくなります。。
近くのスポーツジムに入会し
一人で練習をする日々が続きます
いや〜つまらなかった。。
(給与は止められ)不安が先走り
「この先どうしよう〜」
と
真面目に考えます。。
そんな日が続いたある日
K-1のプロディーサー(当時)石井館長から
人を介して
僕に会いたいと・・・・
会うことに少し戸惑いはありました
正直に言うと、
この時期は、やや腐っていて
誰も会いたくなく
少し人間不信になっていた時期で
石井館長に会うこと自体、お断りをしていました。
それでも
どうしても会いたいと
再三のラブコール?で
一度会うことに・・・
待ち合わせ場所は
新高輪プリンスホテル(記憶)
ホテルから移動して会食
館長から会食をした日
・10月9日 新日との対抗戦
・12月9日 K-1大会
の間
11月中旬頃、館長にお会いしてると思います
正式なオファー
打診も含めいつだったか?記憶に薄い。
対戦相手
パトリック・スミス
1994年UFCトーナメント準優勝の選手
1994年代の総合格闘技は
当時ルールの制限もなく
ほぼ、なんでもあり
2017年現在のルール
・階級制導入
・オープンフィンガーグローブ着用
・肘の攻撃の制限あり
・ラウンド制
1994年当時のルール
・無差別
・グローブ着用なし(素手)
・金的、目潰し、噛みつき、意外は
なんでもあり
・時間無制限
このオファー受け
僕が生き残る為には
NOの選択肢はなく
「YES」しかない
前田さん高田さん講演会の出来事を思い出したのであった。
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